新卒で大コケした出来損ない夢女が転職するまで(前)

(鬼のように長い前半)

卒業制作発表会の終わりは駆け込み就活の始まりを示していた
元よりスキルは劣り気味 大学生活後半は頭のヤバい天才たちとの生活 そんなところで自尊心が育つか?いいや育たない ただただ学内で服を作る人間と化していたわたしは就活解禁からちまちまやっていた就活も気がそぞろで落ちに落ちを繰り返していた と言っても片手でギリ数えられるか数えられないかぐらいの社数 やる気がなさすぎる ここは地獄か?
同い年のクラスメイトやフォロワーがどんどん就職に成功し10月に入社式を迎える中ひたすら教室でミシンを踏んでいた 服は出来上がらない未来もぼやけたままとりあえず卒業だけはしたいとだけ思っていた 卒業と就職がこの学校に入るための絶対条件の内の1つだった 同時期に妹も私立に進みやがったせいで奨学金を取らされ返還せねばならないので いや地獄かよ
最終面接まで行った会社も、1時間半かけた2次面接の最後に販売職に向いている性格なので販売職で進むなら最終面接やってあげるよなどという甘い言葉に誘われて受けてみれば販売職のやりたくなさが滲み出ていたのか落ちをした。夏季年末年始土日祝休みならやる気を出していた。販売職は嫌いではないが平日休みのメリットを感じなかった。これが1月頭。
地獄の就活ロード、まず就職部に通い詰めるところから始まる。ゴミみたいな履歴書を持ち込み、何度も直して嘘まみれの履歴書が仕上がった。いや、そんな純粋に服のこと好きとか思ってねーから。と思いつつも周りは嘘でも入ってから頑張ればいいとか無理な無茶を要求する。そんなできた人間じゃねえ。
ゴミなので大学時代に全く頑張ってこなかった。ただ卒業するために制作課題をこなしていただけで学業面ではFラン大学。学力が育つと思うか?さらにおれは勉強ができない。自分で勉強しようとも思わない。辛うじて4年の最後に色彩検定を受けたぐらい。原付きは落ちた。家にないし受かっても乗れないしで興味がなさすぎて勉強にたどり着かなかったので。
面接は別に苦手ではない。前述のように時間が許すならば1時間半も耐えられる。自分の話をするのは好きだし相手の話を聞くのも嫌いではない。ただ、面接練習となると本番の500倍の緊張が舞い降りてきて無理になる。地獄の就活ロードの頭で面接練習を組み込まれたが、椅子に座り数個やり取りをしていただけで嗚咽が止まらなくなるほど泣いた。以降やっていない。指導官の前で粗相をしてはいけないと必死になるので無理になるのだと悟った。失敗という言葉がすごく苦手だ。
地獄の就活ロードだったが、落ちをした会社から採用した子が辞退して枠が空いたからいかがですかというメールが来た。卒業式10日前だった。就職が決まっていないから卒業式の袴も無しと言われて全員死ねと思っていた頃だった。神かと思った。当たり前に即返信、その後面接とまでは行かない打ち合わせをしてなんとか卒業式1週間前に就職先が決まる。しかも社内勤務。捨てる神あればなんとやらと思いめちゃくちゃにお礼した。早めに来てほしいとのことだったので3月の最終週から勤務を始める。地獄の就活ロードよりも地獄が待っていた。卒業式に袴を着れた事だけ感謝している。
勤務が始まり1年半インターンをしていたのでほぼベテランの同期との出会い。目がでかいかわいい子だったがマツエクとカラコンなら目、でかくなるよな。でも細くてかわいい子だった。あの子だけが惜しい。そして2日目に社長と出会う。
社長からの地獄の一言。「今○○さんって身長何センチで体重何キロ?」オイオイオイ、それを聞くか?と思ったが、身長が安定してから太りに太ったが大学四年間でnキロ落ちて最&高の状態だったわたしは普通に答えた。すると返事は「いや~、かなりぽっちゃりだよね。1ヶ月に2キロ落とせる?」地獄も地獄だった。そりゃ同期細いよな?わかる。だけど今ここ最近で一番軽いんすよ、なんて言えるか?言えなかった。ただ、しんどい。この日は帰り道にコンビニで様々な食い物を買って帰宅して夕飯を食ってから平らげた。しんどいから食べる。食べると落ち着く。地獄の始まり。あとから人に話せば話すほど「セクハラだ」「モラハラだ」と言ってもらえたので救われたが許してはいないので一生顎が伸び続ける呪いをかけた。その後「インスタやってたら見せて。」と言われたので放心のまま見せたら「暗い写真ばっかりでつまらない。インスタグラマーって知ってる?見てる?この人たちは明るくして色可愛くして云々かんぬん……」つまらないのあと よく聞こえなかった 個人のインスタなんだよ好きにさせろしねよバーカバーカ一生顎伸びろ
4月になり、2週間目で1週間大阪に出張。普段より勤務時間は長いし夜締めをしたら上司との晩御飯。憂鬱。目上の人の飲み物の状態を察せと言われるがスーパー同期に全て持っていかれる。入るスキがない。積極性が死ぬ。上司メシが鬱だと心に刻まれる。味がしない気がした。出張手当は1日1000円。いや夜開放してくれ。
5月過ぎて6月、だいぶ業務に慣れる。取引先にも電話をかけられるようになったし単純な事務事業はだいぶこなしていた。ちょっと楽しいかもなどと思い始めていた。
しかしたまに起こる上司メシというクソイベントや、展示会訪問後、上司の車の助手席での本社に着くまで15分程度のお説教タイム。まだ痩せてないの?の突き刺さる一言と目線。いつもより2時間出勤が早くなるのに手当の出ない撮影補佐。がんばってもリテイクで突き返されるデザイン。確実に疲れてきていた。家につくのは9時頃。メシを食ったらほぼ何をするまでもなく風呂の時間。あれ今日なんか楽しいことあったっけ……満足感が足りなさすぎる……まだ眠れないよな、からの軽い夜ふかし。さあ寝ようと布団に潜り込むと涙が出てきて余計眠れない。業務が暇な時期なので死ぬほど眠く意識が飛ぶ昼。
そして週一で睡眠をたしなめられるようになる。タバコ休憩を1日合計1時間半近く取っている上司に。なんでお前はタバコ如きに1日1時間半もドブに捨てているのにわたしは数分うとうとしてしまうのが許されないんだろう。
血祭りが酷く長引くようになっていた。血祭りは眠い。男上司に打ち明けたら出張の時の有給使って病院に行きなよと言われたので使いたくなかったのに有給で半休を取らされて婦人科に行ったらどこも異常がないのでストレスですかねと言われる。そして10年近く続く貧血。ダブルコンボだドン!
この辺で昼には外に出て飯をさっさと切り上げて駅ビルのトイレで30分近くぼーっと過ごすようになっていた。1回戻した。
6月末、急に人間に会いたくなる。元あった予定も加え7月第1週に予定を詰めまくる。出張の時の有給も入れた。久々のちょっとハッピー。だが、有給開けに上司から辞めるか頑張って続けるかとの問を投げかけられる。重要項は寝すぎ。この時血祭り3週間目。気持ちももう耐えられなかったので辞職した。おれは辞めます、無理です。誕生日、入社3ヶ月目。両親には素直に打ち明けた。なんだか悔しくて泣いた。しんどさを打ち消すために帰りにコンビニに寄るのがほぼ日課になっていた、入社してから3キロ太っていた。それも無理だった。後頭部が頼りなさげになっていた。知らないうちに抜毛症になっていたらしい。こわい。

その日から既卒第二新卒就職支援サイトに登録をしまくる。本当に服飾しか学んできていないためまず門が狭い。販売職嫌だなあと思っていたが、ふと地獄の就活ロードの時に送ったエントリーの返事が4月半ばに来ていたことを思い出す。(この時点でちょっとおかしいことに気付こう!)藁を掴むような思いでそのメールに返信したら第二新卒でもぜひ面接に来てくれとの返事。決めてやろうと思っていた。思っていたが、ここで学校求人で入社した同期たちがボロボロとリタイアしていく。学校求人なんて、との話も聞く。返信した会社は学校求人の会社だった。気力が下がる。しかし背に腹は替えられぬと受けるが落ち。めげる。50戻る。
遊んでる暇があるなら家事をしろと言われたので遊ぶ予定もコスプレの予定も極力減らした。いやほとんど遊ばなかった。行きたいオンリーもバイトに潰れた。モチベーションはどんどん下がっていき気になる会社もよくわからなくなっていく。そもそも毎日説教をされすぎて自分が無価値だなあと思うにつれ求人を見てもどうせこんなのできないし、などとネガティブになる。元々じゃんとかいうのは置いておいて。
妹は高校卒業して就職支援校1年を経て新卒として大卒しか入社させない会社に入社していた。大人しく大学生をやっていてほしかったと強く思う。母にはすぐ妹と比べられる。そりゃ最低22歳の職場に特例(付き合い長い人は察して)で19歳入ってきたら甘やかすしちやほやするよな会社の人間も母親も。文句も言わないから愚痴を言ってしまうわたしとは大違いでかわいいよね。わかるよ。でもあんたの仕事の愚痴聞いてんのわたしなんだよね。
家にいる方が楽になるので家にいる日が長ければ家でなにやってんの、わたしは1日1回は外に出なきゃイヤ!と言われるが家の方が気持ちが楽になる人間もいるんだよ放っておいてくれ
婦人科では保険適応のないクソバカ高いサプリ買わされるわ、歯の詰物は取れて7年ぶりに歯医者に行くわ、保険適応してもこれかよってぐらいの金額がかかっていた。スマホも寿命で機種変。遊んでもいないのに金が擦り減っていく。バイトもちまちまやってはいるがやはり家が楽。仕事は苦手な人間。イベントバイトの帰りは大体虚無に包まれていた。